【白百】原研哉さんのご本

【白百 】原研哉さんのご本
なんども読み返す
053 の等伯の松林図屏風 が モネの 睡蓮 に似ていると直感的に感じる、、、について、考察する。
この結びつきは、わたしの視点にはなかった。
等伯の松林図の前では、息継ぎすることも忘れるほど。
等伯はなぜ、どのようなきもちで、どこに向かって、この絵を描いたのか。
なんどもなんども、考え、また観る、また立つ、戻りみる。
数年経って、今やっと、等伯の行きついた境位の入り口が、わかったような気がする。
時間がかかりました。
モネの絵も、何枚もなんども観る。
マルモッタンではあの空間に包まれる。
言葉にはできないくらいのしわあせなきもち。
ジヴェルニーの庭は、とにかく、歩き回る。
いろんなアングルから、モネが何を考えていたのか、感じたい、知りたい。
館からも眺めてみる。
とても素敵だ。
この段階では、また、等伯は等伯、モネはモネ、
接点があるとは思いもよらない。
しかし、
先日行ったオルセー美術館にあるモネのルーアン大聖堂の白い絵のシリーズを観たとき、、、
原さんがおっしゃっている「等伯の松林図屏風 が モネの 睡蓮 に似ている」は、わかったような気がした。
わたしが理解したと思ったことを、
わたしが尊敬するお師匠さまががおっしゃっている言葉があまりにも的確なので、そのまま引用させていただきます。
「等伯もモネも、どちらも、見えるものを描いて、見えない次元をあらわそうとしている。
モネは世界を光(光)で捉えようとして、等伯は世界をエネルギー(気)で捉えようとしていた。
そこに西洋と東洋の根源的な世界観の違いがあるように感じています。」
・わたしは、洋服という見えるものを作っているが、その見えるものを介して、どこまで見えない次元の境位まで、たどりつくことができるのか。
とにかく学ぶ。
こんなことをかんがえながら、
先日、お花の先生が、
こういうときは、お壺で、心を大きく解放した方がよいのと、おっしゃっていたことを思い出し、
生けてみたくなり、
アスティエドゥヴィラッドのお壺に、
大きな枝ぶりの木苺、根占めはユーカリ。
まだまだ勉強中。



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