Ataraxia、はじまりの始まり
40代をすこし過ぎたころ。
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31歳から41歳くらいまで、セレクトショップのデザイナーを、ただただ一生懸命やっていた10年間。
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自分の仕事をとおして、お客さまのためという思いで、やっていました。
2006年ごろ、これからは自身のためにする、そしてその先に人に喜んでもらえる笑顔がある、
こうありたいなと思い始めたころ。
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自己は、アルファベットの『A』を富士山に見立て、
どっしりと土台をしっかり作り、
すっくとした姿にあこがれる。
自己と世界は、それぞれが小さいままではいけない
両方が、まあるくぐんぐん大きくなっていくイメージ。
アルファベットの『T』のような均衡。
はじめの1枚を作った。2006年。
その裏地の裾に、黒の別珍で大胆に縁取りして,
その方の好きな着物の生地を裏地として使うセミオーダーのコートのサンプリングだった。
パターンはどうしてもつくっていただきたい方がいた。
かなりお忙しい方だったが、やってくださった。
感謝してもしたりない。
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のちに、生地は完全オリジナルで、昔からお世話になっている機やさんに、つくっていただくことになる。
約10年後には、とても不思議なつながりのつながり、さらにのつながりからの出会いを経て、素晴らしい縫製工場さんにお目にかかることになる。
このコートが、のちに、Ataraxiaを象徴するかのようなコートになるとは、思いもよらないこと。
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人との出会いは自分ではつくれない。
こころからそうおもいます。
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今はひとりでやっているのですが、、、
けっしてひとりが好きなわけではなく、、、
ただ、
ひとりではほんとうになにもできない、できなかった、、、
みえないところでたくさんの方に助けていただいて、やっています。
のちに3人になることを願って。
2019年5月8日 筆
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