Ataraxia、はじまりの始まり

2006年、企業の仕事のかたわら、自身が着たい服をつくりはじめました。

40代をすこし過ぎたころ。

31歳から41歳くらいまで、セレクトショップのデザイナーを、ただただ一生懸命やっていた10年間。

そのあとは、ブランド立ち上げや、ブランドディレクション、デザイン提案、若いデザイナーの方々の育成などにかかわって、さらに10年以上。。

この頃は、自分のためというよりは、
自分のためはいちど脇に置いて、

自分の仕事をとおして、お客さまのためという思いで、やっていました。

自己の知識を決してだしおしみせずに、すべて出しきって、人に積極的にかかわって。
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2006年ごろ、これからは自身のためにする、そしてその先に人に喜んでもらえる笑顔がある、

こうありたいなと思い始めたころ。

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自己の確立とまわり・世界との調和は、わたしの人生のテーマです。

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自己は、アルファベットの『A』を富士山に見立て、

どっしりと土台をしっかり作り、

すっくとした姿にあこがれる。

自己と世界は、それぞれが小さいままではいけない

両方が、まあるくぐんぐん大きくなっていくイメージ。

どちらかが強くなってもいけない。

アルファベットの『T』のような均衡。

意識しないとだんだん慣性力に引っ張られてしまう。
のちに、ブランド名を『Ataraxia』にするのだが、、、
マークにAとTを入れているのは、このような意味合いを含ませたかったから。
こんなことを考えながら、作っていたはじめての作品『super140'のコクーンコート』

はじめの1枚を作った。2006年。

この時は、裏地をきものの生地、ドビーの大胆なブラックと茶とオフホワイトのゼブラ柄の浴衣地にして、

その裏地の裾に、黒の別珍で大胆に縁取りして,

その方の好きな着物の生地を裏地として使うセミオーダーのコートのサンプリングだった。

フランスの女優・ファニー・アルダン、イギリスの女優・ティルダ・スウィントンに送って、着てもらいたいと、本気で考えていた。
振り返ると、かなり、変ですね。
白Teeか白シャツにLeeデニムにスニーカーを合わせて、さらっと羽織って、わんこちゃんのお散歩に行ってほしいな、と思っていた。

パターンはどうしてもつくっていただきたい方がいた。

かなりお忙しい方だったが、やってくださった。

感謝してもしたりない。

のちに、生地は完全オリジナルで、昔からお世話になっている機やさんに、つくっていただくことになる。

約10年後には、とても不思議なつながりのつながり、さらにのつながりからの出会いを経て、素晴らしい縫製工場さんにお目にかかることになる。

このコートが、のちに、Ataraxiaを象徴するかのようなコートになるとは、思いもよらないこと。

人との出会いは自分ではつくれない。

こころからそうおもいます。

今はひとりでやっているのですが、、、

けっしてひとりが好きなわけではなく、、、

ただ、

ひとりではほんとうになにもできない、できなかった、、、

みえないところでたくさんの方に助けていただいて、やっています。

のちに3人になることを願って。


2019年5月8日 筆








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